十勝の事業創発につながる企業の取り組みを、LANDスタッフが取材し掲載する「LANDSCAPE」!
今回は、十勝ときいろベリーファームの鴇崎伊吹さんにお話を伺いました。
20代最後に奥様と自転車で旅したヨーロッパ周遊を経て、2004年に北海道へ移住した鴇崎さん。現在は2010年に開業した(ときいろファーム)で無農薬・無化学肥料のベリーを栽培しています。そんな異色の経歴をもつ鴇崎さんのこれまでと、ときいろファームの現在、そしてこれからの展望について伺いました。
ときいろファーム 鴇崎 伊吹さん
プロフィール
鴇崎 伊吹さん(ときざき いぶき)
長野県出身。大学卒業後、東京の旅行会社でランドオペレーターとして6年勤務。退職後、奥様の姿名子(しなこ)さんとともに、10ヶ月間自転車でヨーロッパ周遊へ。帰国後は岐阜や福井にある企業保養所の施設管理会社に就職。2004年、北海道へ移住。2010年
帯広市岩内地区で「ときいろファーム」を開業。無農薬・無化学肥料で10種類以上のベリーを栽培している。2025年9月JAS有機認証取得
原点になった10ヶ月のヨーロッパ周遊の旅
――まずは、十勝ときいろベリーファームの基本的な事業内容について、お聞かせください。
(鴇崎さん)十勝の山間部である帯広市の岩内地区で、ベリーの栽培から加工販売までを行う6次化農業を営んでいます。無化学農薬・有機肥料で作った土壌を守りながら、ラズベリー、ハスカップ、ブルーベリー、カシス、シーベリーなど、さまざまな種類のベリーを栽培しています。ときいろファーム ラズベリー
――鴇崎さんのこれまでの経歴についてお聞きします。十勝でベリー農園を営むまでのことを教えていただけますか。
(鴇崎さん)出身は長野県で、高校を卒業するまで過ごしました。その後、日本大学国際関係学部(静岡県三島市)に進み、卒業後は、東京でヨーロッパ専門のランドオペレーターの仕事を経験しました。ランドオペレーターとは、旅行先でのホテルやレストラン、交通機関、ガイドなどを手配する専門職で、約5年半勤めました。
――その後、ヨーロッパを周遊する旅に出られるんですね。
(鴇崎さん)仕事では現地へ行く機会がなく「自分の目でヨーロッパを見てみたい」という思いから、妻のリクエストもあり、仕事を辞めて自転車でヨーロッパを周ることを決めました。自転車を選んだのは、土地の空気や人の温度感、風の匂いなどを肌感覚で感じられるから。1997年、私が29歳のときです。
――スマホはもちろん、インターネットもまだ普及していない時代ですね。そのときの道程について、教えていただけますか。
(鴇崎さん)始まりは大阪南港からフェリーで中国の上海に向かいました。それから陸路で北京、ウランバートル(モンゴル)へと向かい、シベリア鉄道でロシアのモスクワへ。1ヶ月ほどをかけてフィンランドのヘルシンキに到着し、白夜を見るためにノルウェー北部のヨーロッパ最北端ノールカップを目指して、自転車でひたすら北上を続けました。
ノールカップに到達した後は、南下してドイツからオランダのアムステルダムへ。度重なる自転車の故障に加え、盗難にも遭いましたが、オランダで中古自転車を買い直して、ポルトガルのロカ岬(ユーラシア大陸最西端)まで行きました。
その後はバックパッカーに変身して、アフリカ大陸へ。サハラ砂漠をラクダに乗って旅したり、モーリタニアの国境付近のサハラ砂漠でテントを張ってパリ・ダカールラリーを見たりと、二度とできない経験をたくさんすることができました。
――約10ヶ月の旅を経て、日本に帰って来られるんですね。
(鴇崎さん)1997年5月初旬に出国して、帰ってきたのが翌年の2月頃。約10ヶ月の旅を経て、人間の温かさや人情というものに触れてきました。私も、おもてなしをする仕事をしたいと思い、帰国後は企業保養所の運営管理をする企業に就職しました。岐阜県や福井県を拠点に、そこでも6年ほど勤め上げました。
北海道移住の実現、そして新規就農へ
――それから十勝へ移住することになるのですね。十勝へ来ることになったきっかけは何だったのでしょうか。
(鴇崎さん)きっかけは、当時働いていた福井県にある保養所で妻が拾った『百年後の屯田兵』という一冊の本でした。私は長野県で生まれ育ったので、環境が近く、なおかつ広大な土地をもつ北海道への憧れがもともとありました。
そこで、この本を出版された方へ連絡を取ると、フェーリエンドルフの西惇夫社長(当時)をご紹介くださり、西社長が十勝周辺を案内してくださいました。西社長としては、フェーリエンドルフで私たちにペンションをやってほしいという思いがあったのだろうと推測しますが、なかなかご縁がなく、悶々とする時間を過ごしました。その間1年ほど、アルバイトをしていたのですが、農作物の卸売製造販売を行うアグリシステム株式会社からお声がけを頂き、そこで勤めることになりました。
――それから、ご自身でときいろファームを立ち上げるまでには、どのような経緯があったのでしょうか。
(鴇崎さん)アグリシステムにしばらく勤めていると、妻から「サラリーマンをするために北海道へ来たんじゃないよね。このままでいいの?」と尋ねられました。ちょうどその頃、「ムラタ木キチゴ園」の村田博さんがこの土地を売って引退する意向だというお話を耳にしました。
ムラタ木キチゴ園は、子どもを連れて年に数回遊びに行っていていたので、村田さんとも顔馴染みでした。事業を引き継ぎたい旨を伝え、方々の面接や農業委員会へのプレゼンなどを経て、とんとん拍子で話が進みました。その後、妻が先に2年間の農業研修を終えて、2015年に新規就農、ときいろファームがスタートしました。
――これまでの経歴とは全く異なる農業という分野での起業、その中でも特に珍しいベリーの栽培という道を選ばれたことに、不安はありませんでしたか。
(鴇崎さん)私の性格上、絶対に諦めないでやるというのは決めていました。それからヨーロッパを旅したときの経験も後押しになっていたと思います。9,500キロという途方もない距離でも、毎日少しずつでも走れば必ずゴールに辿り着く。健康な体さえあれば、何でもできるのではないかという根拠のない自信もありました。
信州の生まれ育ちですから当然フルーツが好きですし、ヨーロッパを縦断していた頃は野生のベリーを摘んではジャムにして食べた思い出もあります。好きなものを自分たちで作りながら、自然の中で働く。そういった能動的な暮らしができれば、それは幸せなことだなと思いました。
ときいろファームのこだわりと、ベリー栽培の難しさ
――ここからは、ときいろファームのこだわりについてお聞きします。まずは、無化学農薬、有機肥料での栽培に対する思いを教えてください。
(鴇崎さん)なぜ有機かというと、一つは先代の村田さんの考え方を継承しているからです。ムラタ木キチゴ園、ときいろファーム共に観光農園で、お客さんがその場で口にしてくれるものであれば、農薬や化学肥料は当然使わない方が良いという考え方です。
また、アグリシステム時代にも、有機栽培や特別栽培等、慣行栽培ではないさまざまな農法についての知識を得られたので、私たちにとっては自然な選択であったといえます。
――商品の販売形態については、EC(インターネット販売)がメインになるでしょうか?
(鴇崎さん)これまでは私が日本全国の物産展を駆け巡って商品を販売してきましたが、相当なハードスケジュールで体力的にも厳しくなり、物産展への出展は今季(2025年)で終了することにしました。ベリー栽培は地道な手作業が多く、当園では除草剤を使用しないため、雑草の管理も大変です。来春に備えた冬支度にも相当な手間がかかります。そのため、これからはEC販売をメインに、より一層栽培に専念するつもりです。
2025年 9月には有機認証(JAS)も取得しましたので、今後は商品の付加価値を高め、より美味しいものを効率的に生産販売していきたいと考えています。
――近年は北海道でも気候変動の影響がかなり出ていますが、どのように対応されていますか。
(鴇崎さん)2025年は7月に高温が続いて、シーベリーがほとんど実を落としてしまいました。ラズベリーやブルーベリーなどは品種改良が盛んで、高温に耐えうる品種もどんどん生まれてきてはいるのですが、ハスカップなどの寒冷地特有のベリーはまだまだ難しいところがあります。同じくベリーを栽培している農家と情報共有をして、都度対応していくしかないのではないかと思います。
――近年では、十勝平野蒸溜所のジンに御社のラズベリーやカシスが使用されていたりと、他社とのコラボ商品も見受けられます。今後、コラボしてみたい商品はありますか。
(鴇崎さん)お酒でいうと、今年は余市産のりんごと当園のラズベリーを使用したシードルを製造しました。酒は新たな客層を取り込める新ジャンルの一つになるはず。
それから最近多いのはチョコレートで、国内の地域の様々な果実を使ったチョコレートセットで例えば、南国のトロピカルフルーツなどや当園のベリーを使用したチョコレートなどは、需要があるのではと考えています。
全国の物産展や、キッチンカーで地元(十勝)を回る際は、主にスムージーを提供していますが、やはり寒くなると、なかなか売れなくなってしまいます。今後は、スムージーの代替になる「冬でも楽しめる商品」を考える必要もありますね。
――栽培から加工販売までを自ら担うのは、ご苦労も多いのではと想像します。
(鴇崎さん)得意不得意もありますし、バランスが難しいと感じることもあります。ラズベリーに関していえば、農家一軒あたりの生産量は当園が今の所日本一ですが、これまでにもお伝えした通り大変手間のかかるもので、その意味での適正規模もありますよね。
営業を一生懸命やって販売に傾くと畑が疎かになりますし、畑を一生懸命やっても営業ができなければ商品が余ってしまいます。畑を51、営業販売を49くらいの絶妙なバランスでできればいいのかと思いますが、それが難しいところです。
――ありがとうございました。最後に、十勝の皆さんや新規就農者、移住をお考えの方へメッセージをお願いします。
(鴇崎さん)十勝という土地は、その時々の先端技術を用いながら、大量の食料をできるだけ安価に提供してきたという歴史があります。「量を稼ぐ」という意味で、世界的に食料問題が深刻化する今、十勝が果たす役割は大きいはずです。
その反面、移住をしてきた人が新規就農を目指すことには多少のハードルもあります。その中でも、珍しい野菜を作ったり、農法にこだわったりしながら、自分たちなりの方法で活路を見出す若い新規就農者も増えているようです。収益もあり、世の中のためにもなり、自分たちの楽しみも見出しながら、十勝という地の利を活かして頑張ってほしいです。
私の場合は、それなりの覚悟、それから根拠のない自信があって来てしまいましたが「やらない後悔」よりも「やった後悔」を選んだ方が断然面白いと思います。「せっかく一回きりの人生なら、やりたいことをやっちゃってから死んだ方がいいかな」ということです。自分で決めたことなら、失敗しても納得できるはず、是非いろいろなことに挑戦してほしいと思います。
(編集後記)
鴇崎さんの挑戦の背景には、いつもご家族の支えがありました。その力を受けながら、十勝の地でベリー栽培に真摯に向き合い、着実に歩みを積み重ねてきた姿がとても印象的でした。無農薬・有機肥料で畑を守り続ける姿勢や、新たな商品づくりへの挑戦は、十勝の農業に新しい選択肢と可能性をもたらしてくれています。ときいろファームの取組みがこれからも豊かに実っていくよう、地域みんなで力強く応援していきたい。そんな思いを深く刻む時間となりました。